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アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il |
大聖年(AD2000)3月26日、教皇様はキリスト復活大聖堂でミサを捧げました。
すでに、一年が過ぎました。これはわたしの小さな思い出です。
ローマの司教
21日、イスラエル、ベングリオン国際空港に到着しました。小雨の降りしきる中、イスラエル大統領、政府高官、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の指導者たちが出迎えました。イスラエル側からの歓迎の挨拶を受けた後、教皇様は「わたしの訪問は念願の個人的巡礼であり、ローマの司教としての霊的な旅です」と挨拶なさいました。教皇様が「ヴァテイカン市国の首長」としではなく、「ローマの司教」として来られたと挨拶したことは出迎えたオーソドックス(正教)諸教会のエルサレム総大主教(Patriarcha)や代表者たちにとってうれしかったと思います。彼らはそれぞれがキリストの使徒団の後継者です。教皇様が「ローマの司教であり、聖ペテロの後継者である」ことは東西教会分裂以前から認められていることでした。千年に及ぶカトリックとオーソドック(東西教会)の溝が、共通認識を互いに確認しあうことで、すこしづつ埋められていく気配を感じました。
神殿
26日、西の壁(嘆きの壁)で、ユダヤ教主席ラビから歓迎されました。主席ラビは「・・・イスラエルの民にとって神殿は神の現存のしるしです。民はエルサレム神殿で神を礼拝してきました。今では、その神殿は目の前のわずかな石を残すだけとなりました。それでも、ここで、イスラエルの民は祈ります。そして、決して祈りを止めることはありません。・・・」と挨拶されました。
教皇様は詩編122、巡礼の歌をラテン語で祈られました。
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神の家に行こう」と言われて、
わたしの心は喜びにはずんだ。
エルサレムよ、わたしたちはいま
おまえの門のうちに立っている。
しげく連なる町、エルサレム、
すべての民の都。
そこにはイスラエルの部族、
神の民がのぼってくる。
イスラエルのおきてに従い、
神に感謝をささげるために。
そこにはさばきの座、
ダビデの家の座がすえられている。
平和を祈ろう、エルサレムのために。
「エルサレムを愛するものに平和。
その城壁のうちに、
その宮殿のうちに平和」
わたしの兄弟、わたしの友のために、
「エルサレムに平和。」
わたしの神、ヤーウエのすまいのゆえに、
エルサレムの上に恵みを願おう。
(教会の祈り、第四主日前晩)
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統合と分裂
26日、公式行事を終えられて、帰国直前、どうしても、救い主が息を引き取ったカルヴァリオで祈りたいと再びお出でになりました。出迎えたのは、聖墳墓修道院の私たちだけでした。その折、ポーランドの兄弟が近づき、挨拶しました。教皇様が何やら話されました。教皇様が帰られて、くだんの兄弟は「教皇様は何を話された」と質問攻めでした。個人的会話はこのケースだけだったからです。教皇様は「あんたはベルナルデイーノ、それとも、レフォルマーテイ」と尋ねたそうです。教皇様は、以前、ポーランド、クラコフの大司教でした。
彼はクラコフ管区に属しています。このクラコフにはフランシスコ会の二つの管区本部があるのです。レオ13世の指導の下、フランシスコ会諸会派が統合した時、クラコフ管区となりましたが、6年と続かず、ベルナルデイーノ(シエナの聖ベルナルデイーノの霊性)とレフォルマーテイ(ドイツからの改革派)に再び別れてしまい、世界に例のない同じ地方に二つの管区が同居する結果となったそうです。教皇様はこの事をよくご存知でした。くだんの兄弟はレフォルマーテイで、聖墳墓修道院の前院長はベルナルデイーノでした。自分とは異質ものを認め、受け入れる時、より豊かな存在へと成長するのではないでしょうか。
(写真:春山勝美 無断使用をお断りします)
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