エルサレムの聖週間

月15日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

主の復活を心からお祝い申し上げます!

しかし、今回は、キリスト復活大聖堂の聖木曜日、聖金曜日の典礼をお伝えします。
聖木曜日(4月12日) 聖香油の祝別と主の晩さんの夕べのミサ

主の晩さんの夕べのミサは午前五時でした。このミサは聖墳墓修道院の共同体としてでしたが、エルサレム総大司教のミサはそれでも午前七時でした。これは救い主復活聖所・お墓をオーソドックス(正教会)と共に使っていますので、長年の慣行にしたが、カトリックは午前中に祭儀を済ませることになっているからです。
浄め総大司教と共同司式する司祭は祭服を付けて、カトリック聖堂で控えています。午前七時、総大司教は聖職者たちに伴われて大聖堂に到着します。キリスト復活大聖堂では午前と午後、ミサが出来ませんので、このミサで聖香油の祝別、洗足式、司祭職制定の記念、聖体制定の記念を行います。そして、聖体拝領が済むと、聖体を移す行列があります。行列はお墓を左回りに三回まわります。

さて、二連横木の行列用十字架を先頭に神学生・修道者、続いて、共同司式の司祭、聖体を保持した総大司教、そして信者と続きます。共同司式者は司教が5名と120人からの司祭でしたので、四列になって行列を始めましたが、信者が加わるに連れ、行列は動けなくなってしまいました。仕方なく、ほとんどの信者には列から出てもらい、行列を続けました。イスラエルが昨年来、情勢不安定なので外国からの巡礼団はほどんどなく、代わりに、イスラエル国内の信者がエルサレムでの典礼に与かっていると聞きました。行列が済むと聖体はお墓に安置し、翌日の主の受難の祭儀まで聖体礼拝が続けられました。

午後二時、お墓におられる聖体のキリストを前に黙想と礼拝のが始まりました。テキストにはヨハネ福音者6章の聖体論争と13章の弟子たちの足を洗ってからの14章、15章、16章の最後の教えと17章のキリストの司祭としての祈りまでが使われました。最後は司教が17章1節から18章1節までを荘厳に、しかも心に染み込むメロデイで歌い上げてくれました。キリストが弟子たちのため、人々のため、おん父に祈られた情景が重なりました。午後五時に大聖堂が閉じられてからは聖墳墓修道院の私たちが聖体の前で夜を過しました。

聖金曜日(4月13日)お墓へ
午前六時、総大司教たちが入堂すると、すぐ大聖堂は閉ざされます。そして、「主の受難」は救い主が十字架に付けられたところで、歌います(十字架の道行き第十留)。「イエスの死」は息を引き取られたところ(第十一留)に場所を替えて、歌い上げます。しばらく黙想し、もとの場所に戻ります。「十字架の崇敬」はキリスト処刑の十字架の遺物を収めた十字架が使われます。

午前十一時半、十字架の道行きは第一留から始まり、十二時過ぎ、第十四留のお墓ま終わりました。
午後三時、お墓の前で、主の死を黙想する典礼が三時間続きました。この時間帯はオーソドックスも主の死の典礼を行っています。大聖堂内はそれぞれの教会がそれぞれの典礼様式で行っているのですから、決して調和していたとは言えません。しかし、ギリシャ正教が、「キリエエレイソン」とビザンテイン(ギリシャ語)典礼で言えば、カトリック教会が、「キリエエレイソン」とラテン語で歌い、コプト教会が、「キリエエレイソン」とアラブ語混じりのコプト典礼で歌います。

午後七時十分、私たちの葬送行列が始まりました。主の受難の朗読が、マグダラの聖マリア祭壇ではイタリア語、イエスの死刑執行人でローマ軍百人隊長の祭壇ではポーランド語、衣服を剥ぎ取られ、くじ引きにされた祭壇ではドイツ語、ここから、カルヴァリオに上り、十字架に付けられた祭壇では英語、息を引き取られた聖所ではフランス語、そして、遺体を清めた聖所ではアラブ語での説教、お墓ではスペイン語でなされます。この典礼のクライマックスは息を引き取られた聖所で十字架のキリスト像を取り外す時でしょう。

助祭が、まず、いばらの冠を取り、遺体を降ろすために胸元から両腕下に布を通し,十字架の横木にかけ、そして、右手から、左手から、足から釘を取り、遺体を十字架から降ろします。そして、清めるため入り口正面の石へと運び、その上に横たえます。聖地管区長(クストス)がこれを清めます(写真1)。そして、お墓へと運び(写真2)、収めます(写真3)

お墓前での祈りが済み、司式者たちが立ち去った後、お墓に入って、誰もが驚くことは運び入れたキリスト像が見当たらないことです。