十字架賞賛の祭日

月14日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

326年、ローマ皇帝コンスタンチヌスの生母聖へレナがエルサレムに来て、十字架賞賛ミサカルヴァリオのローマ神殿貯水池からキリスト処刑に使われた十字架を発見しました。ローマは70年、エルサレム神殿を破壊し、73年、マサッダにこもったユダヤ人を玉砕に追い込み、ユダヤを滅しました。しかし、間もなく、132年、バル・コバはローマの異教的支配、特に、破壊されたとは言え、神殿跡地に黄金の皇帝像を立てたことから、ユダヤ人に蜂起を呼びかけました。

しかし、135年、ローマ皇帝ハドリアヌスはこの反乱を平定し、「ユダ」あるいは「イスラエル」の国名を廃し、この地方をパレステイナとしました。さらに、ユダヤ人をエルサレムから追放し、エルサレムの世俗化(非ユダヤ化、非キリスト化)を徹底するため、神殿跡地に公共建物を建設し、キリスト処刑の地、カルヴァリオにはローマの神神ゼウス、メネルヴァ、ヴィナスを祭る神殿を造営しました。そして、都市名をユリア・カピトリアとしました。

時代が下り、コンスタンチヌスが帝国を支配するようになり、キリスト信者であった生母聖へレナのエルサレム巡礼を迎えることとなりました。聖ヘレナはキリスト者の言い伝えを頼りに、ローマ神殿、カルヴァリオを調査させ、聖十字架を発見しました。十字架賞賛マグダラ

335年9月13日、コンスタンチヌスが帝国の威信をかけて造営した救い主キリストの受難・死・復活Mausoleum(陵)の竣工式が当時はまだキリスト信者でなかった皇帝も臨席し、盛大に執り行われました。以来、聖十字架は救い主が処刑されたカルヴァリオに顕示され、処刑の道具、十字架が救いの出来事と結び付くようになりました。

614年、聖地はササン朝ペルシャの略奪に遭い、聖墳墓も甚大の被害を受けました。その上、ペルシャは聖十字架を勝利品として持ち去ってしまいました。628年、東ローマ皇帝ヘラクリウスはペルシャを破り、聖十字架を取り戻しました。

629年9月14日、取り戻した聖十字架を皇帝自身が担ぎ、東の門(黄金門)からエルサレムに入り、モデストスによって修築されたMausoleumのカルヴァリオに再び顕示されました。ギリシャオーソドックス教会ではビザンチン時代からキリスト復活大聖堂献堂記念日を9月13日に祝い、翌14日に十字架賞賛を祝います。

私たちカトリック教会は十字軍がエルサレムに入城し、最初にローマ典礼でミサを捧げた7月15日を献堂日とし、5月7日に十字架発見を祝い、9月14日は十字架賞賛を祭日で祝います。この日は祭日ですので、前日13日、午後一時、前晩の祈り(グレゴリオ聖歌)から祭日が始まります。聖務中には祭壇に聖十字架の遺物を収めた
十字架賞賛十字架を飾ります。(写真:十字架賞賛)。真夜中の聖務(朗読課、朝の祈り)もグレゴリオ聖歌です。

14日はフランシスコ会巡礼日ですので、ミサは本部修道院が担当します。ミサは聖十字架をカトリック聖堂から行列して運び、カルヴァリオの十字架祭壇に安置して始めます。ミサが終わると、また、行列して聖十字架をマグダラの聖マリアの祭壇へ運びます。(写真:十字架賞賛ミサ)。この祭壇で、聖十字架の崇敬が行われます。(写真:十字架賞賛マグダラ)。午後一時、晩の祈りをし、祭日の聖務を終えます。(写真:結びの祈願)。

現在、私たちは身の回りに十字架を置き、折りあるごとに十字架を仰ぎ、祈りの前後に十結びの祈願字を切ります。もっとも残酷な処刑の道具が救いのシンボルとなり、キリスト信者のアイデンテイテイとなりました。これは聖ヘレナの聖十字架発見から始まり、世紀に渡り、巡礼者が、時にはいのちの危険を冒し、カルヴァリオの聖十字架を救いの道具として崇敬したことからでした。そして、聖地がイスラム教徒の支配するところとなり、東西の全キリスト教会は聖地奪回の聖戦、十字軍運動を起こしました。ここに、十字架はキリスト教徒のシンボルとして、歴史的に確定したと言えます。

さて、今日ほど、使徒聖パウロのことばを思い起こさなければならない時はないと思います。「実に、キリスト自身こそ、私たちの平和であり、互いに離れていた二つのものを一つにしたかたです。キリストは、ご自分の体によって、人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き、かずかずの規定を伴うおきてから成る律法を無効にし、二つのものをご自分に結び付けることによって、一人の「新しい人」に造りあげ、平和を実現しました。

すなわち、キリストは十字架によって、互いに離れていた二つものを一つの体とし、神と和解させてくださいました。ご自身において敵意を根絶させられたのです。キリストはおいでになって、「遠くの者」であるあなたがたに平和を、「近くの者」にも平和を、福音として告げ知らせました。実に、キリストを通してわたしたち両者は、一つの霊によっておん父のもとへ歩みを進めてくのです。(エヘソ2.14-18)」 (参照:隔てていた壁)。

神は、おん子の十字架において、平和を実現しました。しかし、私たちは「互いの隔たり」、「憎しみ」を取り除けず、神の平和の実現を妨げています。そして、今日このごろ、自分たちの手で平和実現が難しく、不可能と感じながら、キリスト者の祈りの本質を学びました。それは、私には手におえないので、あわれみ深い、全能のおん父が私の心から「憎しみ」を取り除いてくださいと「祈りつづける」ことです。そして、今日、みこころが行われますようにと。

アンジェロ春山勝美神父