案の定

4月20日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

案の定、と言ったら悪いかな、パウエル長官の調停も失敗のようでした。これが当地の実情です。

15日(月)、16日(火)とガリレアに行ってきました。
ガリレア湖は春霞で、墨絵のようでした。今年は秋の雨、春の雨に恵まれたと思っていましたが、湖水は、数年続いた少雨で、教会前の湖岸は、まだ2、3メートル少ないようです。

街で、イスラエル人から、「お会いしたことがありますね」と声をかけられました。もう6年にもなるので、顔を覚えられたようです。話しているうちに、私が、「自爆テロがないから、テイベリアは安全ですね」と言うと、「イスラエルには安全なところはないさ」と言い返られました。「あそこに、レストランの看板があるだろう。その並びに、『アイスクリーム一つでも3シェケル、サンドイッチ一つでも3シェケル』とヘブライ語で書いた標識があるんだ。セキュリテイのための上乗せだ」と説明してくれました。3シェケルはレートだと100円ですが、日本での消費感覚では200円でしょうか。

巡航ミサイルトマホークが正確に目標を捕らえることは知られていますが、パレステイナの「二本足ミサイル」はもっと正確に目標を捕らえて、爆発すると内務大臣が自嘲気味に言ってました。安全なところがなくなったことは確かです。

また、検問が厳しくなりました。街角で、身分証明書の提示を求められます。アラブ人にはより厳しいのは分かりますが、最近、ヨーロッパ人が取り調べられています。ニューゲートを出て、市庁舎側に渡ったところでの目撃です。銃を持ったボダーポリスが私の前を歩いていた青年を約10メートル手前で止めました。手を上げて立ち止まった青年にシャッツのすそをズボンからだし、胴を見せろと命じました。爆弾を巻きつけてないかの確認でした。距離をとってしたのはテロリストの自爆で命を落とした同僚がいるからです。

また、不特定多数が出入りする公共施設やショッピングセンター、専門店でも、手荷物の検査を受けなければ入れません。この一週間で、二人の女性が検査の厳しさに腹を立て、係員に食って掛かっているのを目撃しました。最初は、西の壁(嘆きの壁)の入り口で。金属探知ゲートを通り抜けるとブザーが鳴ります。何度目か、通り抜けるとブザーが鳴ったので、その女性は手にもっていたカーテイガンを投げつけました。その時まで、静かに対応していたセキュリテイが激しい口調で、「帰りなさい」と押し返し、中に入れませんでした。もう一人は、魔の一角で、衣服の専門店に入ろうとしたところ、セキュリテイが手荷物検査をしようと、手荷物に手を触れたとき、何をすると怒り出して立ち去っていきました。

イスラエル軍がベトレヘムに進攻し、ベッジャラに駐留したとき、平和活動家が抗議行動を起こし、イスラエル軍戦車に向かって行進しました。イスラエル軍戦車は機銃で路面に威嚇射撃しました。コンクリートの破片等で、5人が怪我をしました。そのうちの一人は日本人女性でした。日本の外務省はベトレヘムには「家族等退避勧告」を出しています。イスラエル軍は「戦闘地域」としました。日本の路上で、機動隊に向かう平和行進と訳が違うことにどうして気づかなかったのでしょう。怪我人は近くのホテルに収容され、手当てを受けました。パレステイナガンマンの狙撃があるため、結局、アメリカ海兵隊に救助され、ベトレヘムから脱出で来ました。そして、イスラエルから国外退去の「おまけ」がつきました。

17日はイスラエル独立記念日で休日でした。午後、テイベリアからの帰り、エルサレム市庁舎の近くで、若い日本人カップルを見かけました。その晩、Ha’aretzの速報で、「ベトレヘムで迷い込んだ二人の日本人旅行者を保護」を知りました。翌日、BBCニュースを開いたら、なんと、前日、エルサレムで見かけた二人ではないですか。ガイドブックを頼りに、死の町となったベトレヘムに入り、キリスト誕生のところを探しているとき、住民の通報があって、報道関係者に救助されたとのことでした。ベトレヘムは外出禁止下にあります。

イスラエル在住のものとして、お願いします。対イスラエル抗議行動、親パレステイナ支援行動に参加し、行動するのは自己の責任において自由です。しかし、現時点で、イスラエル国内、パレステイナ暫定自治内で行動するときは、日本赤軍岡本公造がロット空港(現ベングリオン)で乱射事件を起こし、多くのイスラエル人を殺傷したことを思い出してください。彼はパレステイナの英雄ですが、その後、多くの日本人がイスラエル出入国の際、厳しいチェックを受ける羽目になったのです。