聖霊は働いている

11月19日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

その一。聖霊のうめき。

JSTV 10月24日放送の「にんげんドキュメント 詩が踊る教室」で、朝霞第
二小学校四年一組 石井裕梨(ゆり)さんの詩 「お父さんの病気」が紹介され
ていました。

私のお父さんは
私が生まれたときから入院していました。
でもなおりませんでした。
二年生のある日
お父さんと同じ心臓の病気の人が
テレビで手術をしているのを
お父さんは一生懸命見ていました。
少ししてお父さんは
その同じ手術をしました。
でもまだなおったわけではありません。
お父さんの病気は
なおらない病気なのです。
病院の先生も
どうやってなったのか
どうやったらなおるのか
知りません。
もし私の願いを一回かなえてくれるなら
「お父さんの病気をなおしてください!」
とお願いしたいです。
お父さんの病気がなおらないとわかっていても
いつかは願いがかなうといと思っています。


裕梨には教えられます。イスラエルで、また、世界各地で、テロと報復の繰り
返しです。暴力は暴力を生むだけで、平和実現のふさわしい手段でないことは
分かっていす。それでも、暴力には暴力で立ち向います。平和を祈る祈りの空
しさが囁かれる今日この頃です。しかし、「お父さんの病気がなおらないとわ
かっていても・・・願い」続ける裕梨さんは、本当に、祈りの人です。

聖パウロは教えています。「わたしたちはどのように祈るべきか知りませんが、
聖霊ご自身が、言葉に表せないうめきを通して、わたしたちのために執りなし
て下さるのです。」(ロマ8.26)。

その二。思いなおして

ギリシャの青年修道士が戻ってきました。
3年前、ひげを蓄え、威厳に満ちたギリシャの修道士たちのなかに飛び込んで
きた彼は、二十歳前の初々しい青年でした。日中は、聖墳墓で巡礼者、旅行
者の世話をし、大聖堂閉門後は、沢山あるギリシャのランプに油を足す勤め
を喜んで果たしていました。英語が話せるので、ギリシャ修道士たちの中で
の数少ない友人でした。

今年の春、パレステイナ武装グループはベトレヘム生誕大聖堂を占拠しました。
カトリック、ギリシャ、アルメニアの修道士たちは39日間閉じ込められまし
た。開放されたのは5月でした。

そして間もなく、彼はベトレヘム修道院へ転勤を命じられました。聖墳墓の務
めにやっと慣れ、勤務にゆとりが持てるようになった矢先だったので、彼には
大変なショックでした。「ベトレヘムへの転勤を拒むなら、ギリシャへ帰れ。」
と言われたので、数日後、ギリシャに帰ってしまいました。私たちは還俗した
と思いました。

その彼が、ベトレヘム修道院勤務のため戻ってきたのです。
イエスは「二人の息子のたとえ話」をしています。(マタイ21.28-32)。ある人
に二人の息子があった。彼は長男のところに行き、『息子よ、きょうはぶどう園
に行って働いてくれ。』と言った。すると長男は『いやです。』と答えた。しか
し、後で思いなおして出かけた。たとえ話は続きます。次男は『行く。』といっ
て、行きませんでした。

数ヶ月ぶりの彼は、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなっていました。