カイザリアのエウセビウスは神の救いが響き渡る「荒れ野」を「神を知らない人の心」と解しました。「無明の世界」と言うことでしょうか。四半世紀前、マニラのスラムでの人々の訴えです。「仕事をしたいけど仕事がない。」、「子供を学校に行かせたいがお金がない。」、「病院に行くお金がない。」、「老いての不安。」。そして、今日この頃、景気が一向に上向かない日本でもささやかれているようです。「生」、「病」、「老」、「死」の四苦はいつの時代の人々にとっても人生の大問題です。スラムで生きる人々から見たら、天国の住民と見られる私たち日本人とて例外ではありません。キリストは「世の光」としてお生まれになりました。「一隅を照らす」だけであっても、隣の人と、無明の世界に「キリストの光」をもたらしたいと願っています。(写真;一隅を照らす)
さて、三月下旬、ユダヤ人が過ぎ越し祭を、カトリック教会が復活祭を祝っていた頃、パレステイナ過激派はイスラエル各地で自爆テロを展開しました。イスラエルは、これに対して、パレステイナ各都市にイスラエル軍を侵攻させ、軍の支配下に置きました。ベトレヘムも例外ではありませんでした。
4月3日、イスラエル軍は戦車、装甲車を繰り出し、ベトレヘムのテロリスト狩りを始めました。追われた彼らは銃を持ったまた住民と共に「キリスト誕生の聖地」に逃げ込みました。その数、約250人と言われました。そこではフランシスカン、ギリシャ、アルメニアの修道士たち、合わせて50人程が、毎日、聖務を行い、巡礼者の世話をしています。「生誕教会籠城と封鎖」の始まりです。
国際社会は調停に乗り出し、イスラエル、パレステイナ双方が妥協し、聖地は解放されました。あわれみ深い神が人々の祈りを聞きいれてくださったからです。しかし、イスラエル軍は戦車を配備し、ベトレヘムに駐留していました。イスラエル軍が完全に撤退したのは夏を過ぎてからのことでした。しかし、11月21日、エルサレムで自爆テロがあり、テロリストがベトレヘム出身者と分かると、イスラエルは、再度、ベトレヘムに軍を駐留させ、外出禁止令をだし、軍の監視下に置いてしまいました。住民の外出許可は生活必需品買い出しのため、数日おき、数時間でした。しかし、15日から毎日、午前8時から午後4時まで外出できるようになりました。
それもつかの間、16日に銃撃戦があり、17日から19日までの三日間、この緩和は取り消されました。そして、20日から、また、緩和されています。クリスマス当日どうなるかは誰も確かなことを言えません。イスラエルはイスラエル市民に対するテロを企てる黒幕を逮捕するまで、不測の事態を避けるため、外出禁止令でベトレヘムを監視すると言っています。
それに、イラク問題が加わりました。アメリカのイラク攻撃があれば、イラクはイスラエルを攻撃すると懸念されています。さらに、ケニアでイスラエル旅行者をねらったテロがありました。これらを受けて、外務省はガザ、西岸、イスラエル全土に「渡航延期勧告」を出し、注意を呼びかけています。これは、渡航の延期ばかりでなく、事情の許す滞在者は安全なところに避難するようにとのことです。やむを得ず滞在する人はいつでも脱出出来るように格安航空券でなく、正規運賃の航空券を用意するようにともすすめています。今年のベトレヘムはこのような状況下でクリスマスを迎えています。
このようななか、十一月中旬、エジプトを旅行してきました。古代の遺跡を回っているうちに思いがけない発見がありました。ヘブライ人はモーセの指導でエジプトから脱出し、シナイ山の麓で神と契約を結びました。その際、神はヘブライ人を「祭司の王国」にすると約束しました。これまで、この「祭司の王国」をどのように理解したらいいのか迷いに迷っていました。ヘブライ語文法からは「祭司」と「王国」が同格で併記されていること、また、「王国」はギリシャ語では「支配する者=王」とも解することが出来ることを知っていました。この難解な言い回しが一気に解明されたのです。私たちが見学するエジプト古代遺跡はほとんどがラムセス二世時代のものです。
そしてこの時代はヘブライ人がエジプトを脱出した頃でした。遺跡にはレリーフがあり、絵がありました。「敵を滅ぼす王(ファラオ)の傍らには神々がいます。」、「王は神々に供物を捧げ礼拝しています。」、「神々が王と親しく交わっています。」。この時代になると、王は神官たちと同じように、神々と直接交わることができるようなったとあります。ここです。ヘブライ人はエジプト王に奴隷として仕えていました。神との親しい交わりはエジプト人にとって「王の特権」でした。契約のことば、「祭司の王国」はファラオに仕える奴隷でありながらも、「王の特権」すなわち「神との親密な交わりゆるす」と言う神の申し出でした。ヘブライ人はこれを受け、神と契約を結びました。神の民イスラエルの歴史の始まりです。(写真:ホルスとセト)。
そして、キリストの時が来ました。神の約束はキリストにおいて完全に実現しました。私たちは洗礼によって父と子と聖霊の交わりに入り、堅信によって聖霊との不可分の関係となり、聖体祭儀を大祭司キリストと共に執り行って万物の源である父を賛美し、神とのいのちの交わりに生きています。契約は私たちにおいて完全に実現しました。
エジプト古代遺跡に見られるエジプト人の憧れ、「王(ファラオ)において実現する神々のご加護」、そして、「神々との交わりによる現世の幸せ」、さらに、「現世の幸せをミイラに託して願った死後の世界」。これらの憧れはより純粋で完全、しかも、より人間的意味でキリストによって実現しました。
クリスマスはこの救い主の誕生です。(写真:Bambino)
どうぞ、来年も、神の恵みのうち、健やかにお過ごしください。祈ります。
付記
「一隅を照らす」:40数年前、フランシスコ会志願者として受け入れられ、福岡市高宮の志願院に向かう途中、比延山延暦寺根本道場に立ち寄りました。そこで、「一隅を照らす これ国宝なり」との掛け軸を見ました。それからまた20数年、飯田教会に勤務中、岸沢維安師の「正法眼蔵」で教えられました。昔、中国で二人の王が自国の自慢話をしていました。一人の王は、当時、中国で知れ渡っていた政治家(将軍)を国宝だと自慢しました。相手の王は静かに言いました。「私の国には彼のような超偉大な人物はいない。しかし、私が、夜間、外出すると住民がそれぞれ松明をともして出迎え、足元を照らしてくれる。私はこのような人々を国の宝と思っている。」
「写真:ホルスとセト」:前回の「祭司の王国」でもとりあげました。これはアブ・シンベル神殿のレリーフです。右は「ホルス」。天空の神でファラオの保護者。左は「セト」。破壊、混沌の神。中央が「ラムセス二世」で、頭にアトム神(完全)を表す二重冠があります。神話ではセトは兄オリシスを殺し、エジプトの支配者になろうとしましたが、オリシスの息子ホルスに殺されます。神話も教えています。「破壊」は決して人々の支配者になれません。 ファラオは「生きたホルス」と見なされていました。洪水よる破壊が新たな豊かさを生み出すように、ファラオが敵に打ち勝ち、エジプトに繁栄をもたらしたことを称えるレリーフと思います。
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