98年、米英軍がイラクを爆撃し、イラクのイスラエル攻撃が心配された時、地中海沿岸都市アッコ(十字軍の最後の砦)での話です。
数人のアラブ青年がたむろしている脇で旧防波堤を見ていたら、その一人が話しかけてきました。「フセインを知っているか。」、「ヨルダン王か。」と言うと、「サダム・フセインだ。」と言いました。そして、スッカト・ミサイルによるイスラエル攻撃の話になりました。私が「どこが攻撃されるのか。」と言うと、「ハイハ。」だと言います。ハイハは目の前の工業都市です。そこで、「イラクのロケットは精度が悪く、ハイハ狙ったロケットがアッコに落ちるぞ。」と言うと、彼らは笑いだしました。そして、握手を交わし、分かれました。
数日前のことです。毎日来て、私たちのチャペル前のベンチに腰をかけるギリシャ・オーソドックスの信者と差し迫ったイラク戦争の話になりました。食料の買い置きをしているかというと、「なにも。」との返事でした。「でも、戦争になったら、イラクはイスラエルを攻撃するだろう。」と言うと、「確かに。」とのことでした。そこで、アッコの話を思い出し、「エルサレムが攻撃されるかも知れない。」と言うと、「エルサレムは攻撃されない。」と言いました。そこで、「それでは、どこが攻撃されるのか。」と尋ねると「テル・アヴィヴだ。」と言います。「この時期、地中海からの強い西風でロケットがあおられ、エルサレムに落ちるかも知れない。」と言うと、「イラクのロケットは強力で精度が高い、そんな間違いはない。」と言い切りました。
同じ頃、西岸に住むパレステイナ住民が起こしていた訴えが退けられました。彼らは、イスラエル市民に配布されている「ガスマスク・セット」をパレステイナ住民300万人にも配布するようにと訴えていたのです。しかし、在留外国人には配布されることになりました。
2月になって、在イスラエル日本大使館は在留邦人に避難勧告を出しました。クストス(聖地特別準管区長)は各修道院長に食糧の備蓄を心がけるように指示しました。
巷では、イラクが大量破壊兵器、特に、細菌・化学兵器とその運搬手段ロケットを持っていると信じています。これこそ、米英の懸念で、イラクがこれらの兵器を破棄した明らかな証拠を示さないなら、イラク攻撃も辞さないと言う昨今問題です。
2月14日、国連査察団の二回目の報告がありました。翌日、全世界60数カ国、数百万が参加する反戦デモがありました。こんななか、聖墳墓修道院での昼食時の会話です。ポーランド人から「日本は戦争を望む(voule)のか」と尋ねられました。イタリア人がいなくても、イタリア語が共通語です。自国語であれば、別の言い回しもあろうかとは思いました。「望む(voule)」は強すぎます。そこで、「誰であれ、どの国であれ、戦争を望みはしないだろう。ただ、私はイラクのフセイン政権は代わって欲しい。」と言いました。
フセイン政権の侵略性は明らかです。イラン、クウエートに侵略し、自国民にも毒ガスを使い、イスラエルにはスカット・ミサイルを打ち込みました。このために国連から石油輸出を制限され、国民を経済苦境に閉じこめています。国連は折りあるごとに、フセイン政権に武装解除を求めてきました。しかし、応じませんでした。ここに来て、米英はイラクが自ら武装解除しないなら、軍事力に訴えて武装解除させると言っています。
戦争になれば、多数の死傷者がで、人々の生活の基盤が破壊されます。戦争は神の背く最大の罪悪です。正当化できる理由はありません。この点で、反戦を訴えるデモは神のみ旨を体したものです。
しかし、この反戦デモは潜在的な反米感情と結び付いた、大きなうねりとなっています。イラクはこのうねりを自分に味方するものと勘違いしそうです。この反戦デモが自分たちに向けられたものだと認めて欲しいです。そして、所有していた大量破壊兵器を破棄した証拠を見せるべきです。人々はフセインが隠し持っていると見ているからです。
そして、デモ参加者も、単なる反米、嫌米デモはフセイン政権支持となり、大量破壊兵器を持つイラクを容認することにもなると承知すべきです。
そして、また、イラク問題は国連にとって存亡に関わる重大な問題です。米英はイラクが自ら武装解除をしないとし、軍事行動での武装解除容認を安全保障理事会に求めています。フランス、シリアはこの時期でのイラク攻撃に明らかに反対しています。米英は安保理事会で、たとえ、支持されなくても、多国籍軍を組織してイラク攻撃に踏み切る構えです。このようなことになれば、国連の権威は大きく損なわれ、国連の瓦解の一歩となるかも知れません。すでに、NATOとEUでは米英と仏独の亀裂が表面化していますし、アラブ連合も湾岸諸国とシリア、リビアの対立が伝えられています。
イラク・フセイン政権は世界の諸国、人々にとって「躓きの石」となりました。
付記
躓きの石:フセイン政権をどう捉えるかで、世界が割れる様を表現したかったのです。
「つまずき(skandalon)」は聖書的表現です。新約聖書は「イエス」につまずくケースを取り上げています。
マタイはゲッセマネでのイエス逮捕前の出来事をこう伝えています。イエスは弟子たちに「今夜あなたたちは皆、わたしのことで『つまずく』であろう(マタイ26.31)」。ペトロは「たとえ、あなたといっしょに死ななければならないとしても、けっしてあなたを知らないとは言いませんと言った。ほかの弟子たちも皆、同じように言った(26.35)」。しかし、イエスが逮捕される段になると、彼らはみんな逃げ出してしまいました。フィリッポのカイザリアでは「イエスを神の子」と宣言した彼らです。タボル山では「ご変容」を目撃した彼らです。また、パウロはローマ書9章22節で、「彼らは『つまずきの石』につまずいたのです。」と言い、救いの約束を受けたイスラエルがイエスを救い主と認めることができず、救いからはずれ、異邦人が救いに与る結果となった次第をこう表現しました。
|