エルサレムのキリスト復活大聖堂では、時間的に世界で一番早く、主の復活を祝いました。復活徹夜祭は土曜日の日没を待って始めることが出来るのですが、当復活大聖堂では土曜日の朝、7時半から式を始めました。これは、同じキリスト復活記念聖堂を使うオーソドックス諸教会との取り決めによるものです。
イエスは指導者たちには国を危うくする危険人物と見なされました。それは人々がローマから解放してくれる救い主と期待したからです。人々がイエスを担ぎ出し、ローマに反乱を起こせば、ローマは必ず反乱を鎮圧し、国を滅ぼすとと言うのが指導者たちの判断でした。大祭司、長老たちから「イエスは神が送ったメシア(救い主)ではなく、ローマへの反逆者だ。」と決め付けられると、人々は数日前、「ホザンナ」と歓呼した口から、「十字架につけよ。」、「十字架につけよ。」と叫ぶようになりました。ピラトはイエスへの訴えが、指導者たちの「ねたみ」と気づきながらも、「保身」から、十字架の刑を宣告しました。兵士たちは、イエスの処刑が決まると、鞭打ちをし、茨の冠をかぶせ、馬鹿にし、十字架を担わせて、ゴルゴタで処刑しました。
弟子たちはと言えば、ユダは群集から離れて、弟子たちとだけ過ごす時と場所(ゲッセマネ)の情報を大祭司たちに売り、逮捕のきっかけを作りました。ペトロはイエスの弟子であることを必死になって否定しました。他の弟子たちは身の危険を感じ、身を隠してしまいました。ヨハネだけが母マリアと共に十字架のみもとに留まりました。一緒に処刑された一人から「救い主なら、自分と俺たちを救ったらどうだ。」と馬鹿にされました。そして、十字架で息を引き取りました。しかし、聖書では、「息を吐いた」と表現しています。このイエスの死に様を見届けて、ローマ人百人隊長は「この人は本当に神の子だった。」と叫びました。
人々から、それぞれの評価を受けたイエスです。しかし、神からはご自分の栄光に輝くものとして、すべての舌が「イエス・キリストは主である。」と呼ばれることを望まれました。 復活した主の後に従い、この世の荒波を恐れず彼岸に渡りましょう。
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