久しぶりにガリレアに行ってきました。五ヶ月ぶりです。聖地での生活は、すでに、八年目になりました。7月、8月のテイベリアの湿気を伴う猛暑は知り尽くしています。例え、湖畔の温泉プールで息抜きをと思いながらも、無風状態になる午後は屋内プールの水温35度の方がましなのです。
11月30日、ガリレア湖への散骨を済ませました。故人は、長年、聖地巡礼を志し、ご主人の同意を得ながらも、聖地巡礼の機会が得られず、昨年、思い半ばで病に倒れ、まことの聖地、天国へ旅発ってしまいました。遺族から故人の絶っての願いだからと散骨を頼まれたのです。
一昨年のガリレア湖は淡水湖維持の危険水位を下回り、だいぶ水が引いた状態でした。幸い、昨年、水位は回復し、今年も乾期を乗り切り、着任当時の状態でした。テイベリアの聖ペトロ教会前、湖畔に並ぶレストランのテーブルから、群がる小魚が見えました。
山肌は若草が萌え始めました。日本での早春のよそおいです。これから、一雨ごとに、緑が深まり、草花に覆われます。エルサレムでも外出時には天を仰ぎ、傘を持つかどうかの決断をしなければなりません。乾期に慣れた生活では煩わしいことです。しかし、この時期の秋の雨と3月の春の雨は神の祝福であり、恵みなのです。
ところで、日本ではイラク復興支援に従事していた外交官二人がテロに遭い、悲惨な死を遂げたニュースがありました。事件の真相はまだ解明されていないとの事ですが、これまで多くのイスラエル人が遭遇した事件と類似したものと思います。すなわち、建物や岩陰に隠れ、通過する車両を銃撃する「闇討ち・辻斬り」の類か、狙撃するテロリストも走行する車の中にいて、ターゲットの車を襲撃して逃げ去る「ヒット・エンド・ラン」の類です。
パレステイナ過激派が「パレステイナ大義」を掲げ、このような方法と自爆によるイスラエル市民殺傷が、かえって、一般パレステイナ人の生活を圧迫し、いまでは、分離ヘンス構築でパレステイナ人が分離隔離される結果となりました。三年前では、大半のイスラエル人がパレステイナ人との共存を容認していたのです。
テロでは彼らの大義は達成できません。これはイスラエルにおいても、イラクにおいても、どこにおいても同じです。9月11日テロが起きる前、イスラエルに対するパレステイナ人のテロリズムを人権派という人たちが容認にしているかに見えました。圧倒的な軍事力で締め付けるイスラエルに対しては、「窮鼠猫をかむ」の「窮鼠」の権利と見ていたようです。
しかし、テロが目的達成のための手段であるならば、手段としてのテロがもたらす同胞への被害に目を向けるべきです。キリストがたとえ話で使っているように、「勝ち目の無い戦はしない(参照ルカ14.31-32)」、この常識に戻って欲しいです。
参照:12月8日付けTheJerusalemPostでは対イスラエル各武闘派は停戦合意に至らなかったと報じました。
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