2月28日、土曜日、キリスト復活大聖堂は「蜂の巣を突付いた」様な騒ぎでした。と言っても、暴力沙汰があった分けではありません。大聖堂で、祭儀を行う権利を持つカトッリク、ギリシャ、アルメニア、コプト、シリア諸教会がこの日の午後、四旬節となり、復活祭準備ため一斉に「固有の祭儀」を執り行ったのです。
今年はカトリックとオーソドックス諸教会が同じ日(4月11日)に復活祭を祝うのです。カトリックはグレゴリオ暦(太陽暦)で復活祭を決めますが、オーソドックスはユリウス暦です。例年はずれるのです。今年はたまたま同じ日となりました。普段でさえ際、お互いが「status quo」に基づき権利を主張し、それが侵害されれば暴力沙汰にもなるのです。今年はどうなることやら。
当日、午後一時半、「status quo」に基づき(申し合わせ通り)、最初は、カトリックエルサレム総大司教が聖職者に伴われて公式荘厳入堂し、カトリック聖堂で聖職者たちから表敬を受けます。続いて、ギリシャエルサレム総大主教が聖職者たちを伴い、公式荘厳入堂し、ギリシャの聖堂カトリコンで祭儀を始めます。続いて、コプトそしてシリアの総大主教が入堂し、それぞれの聖堂で祭儀を始めます。
シリアが入堂するとギリシャの二人の助祭が侍者を伴い、大聖堂内の聖堂、聖所を荘厳に献香して回ります。カトリックの聖マリア・マグダレナ祭壇の献香が済むと(写真:G献香)、私たちの「主の受難、死、復活を記念しての行列」が始まります。入堂してから一時間たちました。それからまもなく、アルメニアエルサレム総大主教が入堂します。それぞれの荘厳入堂に際しては鐘楼の鐘が響き渡り、それぞれの聖堂からは「固有の言語で聖歌」が他を圧倒せんとばかりに歌われ、カトリックの行列にはパイプオルガンがグレゴリオ聖歌を伴奏します。「蜂の巣を突付いた」とはこの状況なのです。
四旬節中の毎土曜日、本部修道院が、真夜中の典礼(朗読課・賛歌)をします。聖墳墓修道院はいつも通りの主日早朝ミサを担当します。ギリシャは午前1時から3時まで復活記聖堂で、その後7時からカトリコンで聖体祭儀、アルメニアは午前3時から4時半までリトウルジア(儀式)、コプトは4時半から、シリアは8時から、そして8時半、聖マリア・マグダレナ祭壇でカトリックの司教荘厳ミサがあります。
オーソドックス諸教会は四旬節第一主日、八世紀から九世紀にかけてビザンチン世界を席捲した「聖画破壊主義」が断罪されたことを記念します。それでこの日、10時、ギリシャがカトリコンで祭儀を始めます。そのため、司教の退堂行列は復活記念聖堂前を通過することを避け、またその裏のコプトの祭儀をも遠慮して、カトリコンの裏の通路から退堂します。
司教が退堂すると、ギリシャの行列が始まります。(写真:行列始まる)。行列は復活記念聖堂を左回れで三回回り、正面入り口、カトリコン裏を回り、キリストの牢獄からマリアの七つのアーチを進み、聖マリア・マグダレナ祭壇前を通り(写真:patriarcha)、復活記念聖堂前で荘厳に聖画破壊主義を断罪します。(写真:anatema)。この日の行列に使われた聖画です。(写真:icon)。
イコン(聖画)にはキリスト、聖母子、聖母、天使、聖人、お告げや生誕の「救いの秘儀」があります。シナイの聖カタリナ修道院、エジプトのコプト修道院には破壊をまぬがれたビザンチン初期のものがあります。聖画破壊主義は七世紀に成立したイスラムの徹底した反聖像、反聖画主義が影響したと思われます。また、金銀宝石に飾り立てたイコンを奉納することが一種の「免罪符」とみなされ、寄進に励む裕福なものと、貧困に捨て置かれた人たちとのギャップに対する福音運動とも言われます。私の親友は、純粋な「神学論争」と言うよりは「社会的政治活動」との意見でした。今日的な「正義と平和」活動だったのかも。公会議は、「イコン」は神性や霊が宿る「偶像」ではなく、キリストや聖人、救いの秘儀を身近に思い起こさせるものと定義して、行き過ぎた聖画破壊主義を断罪しました。
補足
1:「写真:献香」は2002年9月27日(ユリウス暦9月13日)ギリシャの大聖堂献堂式のもの
2:主日早朝ミサ:4時半;5時;5時半(修道院歌ミサ);6時半;7時
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