イエスの衣服を剥ぐ

5月18日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

バクダット、アブグレイブ収容所でのアメリカ軍兵士たちのよるイラク人収容者虐待が世界を震撼されています。

日本が無条件降伏で戦争に負けた時、戦勝国は極東国際軍事裁判で日本の戦争責任者を訴追し、断罪し、処刑しました。戦争犯罪者は小泉首相の靖国神社参拝で問題となっているA級戦犯ばかりではありませんでした。B級,C級の戦犯もおり、彼らは連合国戦争捕虜に対し、民間人に対し、虐殺、虐待の罪に問われました。戦争が起きなければ、戦場に行かなければ、面倒見のいいお兄さんであり、頼りがいのある夫であり、家族の大黒柱の父親として人生を全う出来たかもしれません。「人を変えてしまう」、戦争の悪はここにもありました。

あれから60年。日本の戦争責任者、戦争犯罪者を裁いたアメリカ軍が、今度は、イラクで、虐待者と訴えられています。

2000年前のキリスト裁判が目に浮かびます。数日前はエルサレムの住民、過越祭を祝いに来た諸
アンントニア国のユダヤ人から「メシア」として歓迎されたナザレのイエスです。ユダヤ教指導者たちは神殿で教えているイエスを逮捕するようにと役人を送りましたが、民衆に受け入れられているイエスに手を出せませんでした。

指導者たちが手ぶらで帰ってきた役人たちをとがめると、「あの人のように話した人は今までいません。(ヨハネ7.46)」と答えています。ところが、一夜にして状況が一変しました。「自分を神とした」として、ユダヤ教指導者たちから断罪され、ローマ総督ピラトに訴えられました。ねたみからの訴えと気付いたピラトは釈放しようとしますが、「自分を王とするもの」はローマ皇帝に対する反乱者と訴えられるとイエスに十字架の刑を宣告しました。

エルサレムのエッチェホモ(Ecce Homo)修道院内の
遺跡「敷石(lithostrothon)」がイエス虐待の現場となりました。(写真:アントニア;敷石)。民衆の面前で鞭打たれたイエスはローマ兵士たちの監視下に置かれました。茨で編んだ冠を押し被され、王者のまとう赤いマントを着せられ、王しゃくの代わりに葦を持たされ、兵士からはかわるがわる王者に対敷石する拝礼を受けました。挙句の果てには、頭をたたかれ、つばを吐きつけられました。

兵士たちはどんな罪人に対しても残虐行為をしたでしょうが、イエスが「メシア」すなわち、ローマからの解放者、救い主と人々に期待されていただけ、手許に転がり込んできた「慰めもの」としていたぶったのでしょう。そして、イエスは十字架を背負ってゴルゴタにたどり着きました。ここで、衣服を剥ぎました。これが、イエス自身にとって。そして、聖母マリアにとって、弟子たちにとってどんなに屈辱だったか、あらためて思い知らされました。

男も女も家族以外、人前で肌を晒すこと避けています。それが「裸にされた」のです。これは、中東では、今でも、最大の屈辱であり、侮辱なのです。
 
補足:写真
「アントニア」はEcceHomo修道院遺跡にある「神殿とアントニア城砦」想像

「敷石」は兵士たちが「遊び」のため刻んだものとされています。