フランシスコ会の教会襲われる

(10月11日)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

  今朝、エルサレムは今年初めて厚い雲で覆われました。天のおん父が地上では相も変わらず、殺し合い、殴り合い、破壊しあって、自ら不幸を招いていると嘆いているようでした。太陽が雲に覆われると、急に涼しさを越えて、寒くなります。しかし、日中は陽が射し、さわやかに日和となりました。

 エルサレムはおだやかです。ヘブロン道路(エルサレムーベトレヘムーヘブロン)は封鎖されたままですが、迂回路が通れるようになったので、ジャアファ交差点からベトレヘム方向へ車が流れています。新市街では15日の「かりいお祭(レビ23:34-36)」に必要なものを売る出店が並びましたし、旧市街も店を開けています。日本を含む先進国の巡礼団・観光客は姿を消しましたが、混乱を恐れるより巡礼を優先するイタリア巡礼団、ポーランド、中南米、アジアでは中国からの巡礼団は留まっています。静かな大聖堂です。

 
9日、ベタニナのフランシスコ会の教会が襲われました。ベタニナはエルサレムの北西10キロ位のアラブ人の町です。復活したキリストが里に帰ろうとした二人の弟子に現れたのはこの辺りでしょうか。ルカ福音書では、道すがら、メシアが苦しみを受け、殺され、復活することになっていると聖書を通して教え、エマウスで宿を取り、食事中パンを割いたとき、弟子たちが「主だ!」と気づいたとあります。このベタニナに聖地準管区の修道院・教会があります。修道院は土地の一部を分割し、アパートを建て、アラブ人信者に分譲しました。また、多目的建物を建て、聖堂、ホール、近郊の信者が合宿出来るよう設備を整えました。ホールはコミュニテイセンター(CommunityCenter)の機能を持っていました。修道院は最上階の一角です。

 9日はレビ記16章にある「贖罪の日」でした。荒野の時代から毎年、この日、神の民全員の罪の許しを願う最も聖なる日で、安息日を厳格に守っています。「贖いの日」の安息日は9日の日没で明けますが、その時を待っていたかのごとく、カトリック教会に進入し、狼藉をしたとのことです。通報で駆けつけた警察隊に包囲され、程々で退散しましが、一時は内部を破壊尽くしたとの情報もあり、なんたることかと思いました。

 「情報」には慎重な対応が必要だと思い知らされました。(送信直前に、本部修道院でベタニナ修道院のカナダ人兄弟に出会わなければ以下の内容を送ってしまうところでした。「彼らがこれをユダヤ教徒として行ったとすると「贖罪の日」の宗教性はすでになく、イザヤ、エレミア、エゼキエル等預言者が指摘するように、口先で神をたたえる心のかたくなな民であり、すでに神を見捨てたが故に、約束の国を失った彼らの先祖と同列です。」)今回のベタニナ教会侵入だけで、イスラエル人の宗教性を断罪してはならないでしょう。しかし、ユダヤ教徒にとっても、イスラム教徒にとっても、そして、私たち、キリスト教徒でも、争いごとを克服していないと言うことはそれぞれの神のみ旨を果たしていない現れでしょう。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルは共通の預言者です。彼らの言葉を現代にいきる私たちに告げられたものと受け止めるべきです。