武闘派と穏健派

(10月18日)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

10月13日、ナブラス(聖書のシッケム)でイスラエル観光バスが襲われ、ラビ(ユダヤ教教師)が死亡、数人が怪我を負う事件がありました。他にも、投石や銃撃戦が跡を絶たず、バラク首相は今日、金曜日午後4時までに暴力行為が収まらなければSharm-e-Sheikhの合意を破棄すると警告していました。5時過ぎ、Updatesした新聞には何の発表もありません。

今日のエルサレムは静かでした。事件はイスラム教徒がモスクで昼の祈りを終える12時半ごろ起きるので、11時ごろから、ヘリコップターが上空から監視をしていました。13時半過ぎ、ヘリコップターのエンジン音が消えたので、何事もなかったなと思い、西の壁(神殿)に行ってみました。「かりいお祭」の六日目で、黒い服を着た人たちが祈っていました(聖なる祭日なので盛装なのか、一般の人は混乱を避けて来ないのか分かりませんが)。警備の警官、兵士たちはほっとした表情で引き上げていきました。

神殿の丘での衝突は旧市街に住む人たちが起こしたとは思えません。武闘派(イスラエルとの共存を認めない)が近郷各地から来る礼拝者に混じって、引き起こしたものです。エルサレムの繁栄は聖書の時代から巡礼者がもたらすしたと言っても過言ではありません。争いが起きて、巡礼者:ユダヤ教徒の、キリスト教徒の、イスラム教徒の、が来なくなればエルサレム住民は困ります。抗議ストライキで店を閉めても、抜け駆けしている店が多々ありました。

パレステイナでは部族単位とは別に、武闘派(ハマス)と穏健派とにも大別できます。武闘派は「イスラエル」の存在で生活権を奪われ、貧困に落とされた人たちで、穏健派は「イスラエル」との共存で繁栄の恩恵に与かれる人たちです。パレステイナはアラファトのもとで「一枚岩」であった訳ではありませんが、それでも、「イスラエル」との共存で、パレステイナ建国を模索して来ました。これがパレステイナ暫定自治政府です。今回の武闘は「イスラエルとの共存」を認めない武闘派が仕掛けた「自己存在」を賭けての闘争ではないでしょうか。