2月5日 日本二十六聖人殉教者(読書第二朗読)

2月5日 日本二十六聖人殉教者
聖ペトロ・バブテイスタと聖パウロ三木 同志殉教者
(教会の祈り「読書」第2朗読)

読 書
第一朗読 ローマ8・18~39
第二朗読
聖ペトロ・パブテイストの手紙から
一五九七年一月四日付けの手紙と二月二日付けの手紙からの抜粋

ここにおります私どものの中から六人の兄弟が捕らえられ、数日の間、牢に留め置かれました。誓願を立てた一人を含む二人のイエズス会関係の二人、そして多くの信徒と一緒でした。総勢二十四名です。目下、冬の寒いこの月、私どもは旅をさせられています。馬に乗った侍と大勢の警護の者たちが私どもを取り囲んでいます。時としては、二百人以上のものらが私どもの警護にあたっております。そのようなことに妨げられることなく、私どもは主において大いに慰められ、主のうちにあって喜んでおります。私どもに対して布告されました判決によりますと、国王の命令に逆らって私どもは神の技を宣べ伝えたため、他の者たちはキリスト信者であるために、私どもは十字架につけられることになっているからです。キリストのために死にたいと願っている者たちが、今、絶好の機会を得ているのです。私どもの会の修道者がここにおれば、この地の信徒たちは大いに力づけられるものと思われます。しかしながら、この国王が支配しているかぎり、私どもの生き方をもって日本で暮らすことはできないでしよう。たちまち永遠の生命(いのち)へと送り出されてしまうからです。私どもも永遠の生命へと送り出してもらいたいものです。

私どもに対して下されました判決は板に書きつけられ、私ども一行の先頭に掲げられています。そこには、太閤様の命令に逆らって南蛮、つまりキリスト教の掟を宣べ伝えたために私どもは罰せられ、長崎に辿りついたあかつきに十字架につけられることになると記されています。このため、私どもは主において大いに喜び慰められております。主の掟を宣べ伝えたために、私どもは生命(いのち)を落とすことになるからです。ここに私ども六人の兄弟と十八人の日本人がおりますが、皆死刑の判決を受けています。ある者は宣教師であるため、ある者はキリスト教徒であるためです。イエズス会関係者の一人は修道士、一人は伝道士、もう一人は第三会の信徒です。

牢から引き出され荷車に乗せられて私どもは連行されました。私どもは皆、耳の一部を切り取られたうえで、大勢の群集と兵隊に取り囲まれて、都(みやこ)の通りを引きまわされました。そして再び牢に留め置かれました。ところが、ある日、両手を背中で縛られたうえで、馬に乗せられて大阪に連れて行かれました。翌日、再び牢から引き出され、馬に乗せられ、町の通りを引きまわされました。さらに堺の町に連れて行かれ、そこでも同じことがなされました。この二つの町では、いつも触れ役の役人が同行しました。私どもは死刑の判決を受けたことはすでに知っておりましたが、長崎に着いたときに執行されることがはっきりとしたのは私どもが大阪にいたときのことでした。私どもの生命(いのち)という犠牲が神のみもとに受け入れられますよう、神の愛によって、皆様の愛のうちに私どものために神に執り成してください。ここで聞いたところによりますと、今度の金曜日に私どもは十字架につけられることになっているようです。都(みやこ)で片方の耳の一部を切り取られたのも確か金曜日でした。それを神への賜物として私どもは受け入れました。ですから、私ども一同、熱い思いをこめて皆様にお願いいたします。神の愛をもって私どものためにお祈りください。

親愛なる兄弟の皆様、皆様のお祈りによって私どもを助けてください。私どもの死が天におられる栄えある神に受け入れられるものとなりますように。神のお望みであれば、その天へ昇れるものと私どもは希望しております。皆様のことを忘れることはないでしよう。この地にあっても皆様の愛を忘れたことはありませんでした。心から皆様を愛してきましたし、今も愛しております。私たちの主イエス・キリストの愛と平和が皆様にありますようお祈りしております。親愛なる兄弟の皆様、お元気で。さようなら。もはやお話する時間はありません。天の国でお会いしましょう。私を思い出してください。