資料室

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フランシスコ会の兄弟用

  1. 海外渡航許可願い 20kb MSワードファイル
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資料リスト(2017年)

  地球の叫びと貧しい人々の叫び
-被造物の保護に関するOFMスタディガイド

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  ラウダート・シ -ともに暮らす家を大切に、
を考えるための資料

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OFM日本管区宣教基礎論2015

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2015年アシジ総集会文書

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◎ 2011年~2016年の資料室

◎ 2007年7月~2011年8月の資料室

◎ 1993年~2006年の資料室

フランシスコ会(OFM)

このサイトはフランシスコ会日本聖殉教者管区の公式サイトです。フランシスコ会はカトリックの修道会で、正式名称は「小さき兄弟会(Ordo Fratrum Minorum)」といいます。1209年、イタリアのアシジでフランシスコによって創立されました。2009年には創立800周年を迎えました。日本管区は1977年12月8日に設立されましたが、最初の来日は1593年、ペトロ・バプティスタ神父。後に長崎の西坂で殉教者する日本26聖殉教者の一人です。1907年に再来日して北海道と鹿児島で宣教を始めました(参照:「フランシスコ会案内」2010年)。なお、以下のリンクから冊子(PDF)をダウンロードすることが出来ます。 ダウンロード:PFDファイル 3.7Mb

小さき兄弟会創立800周年と日本

現代では、「平和の使徒」と呼ばれ、教皇ヨハネ・パウロ二世によって「自然環境保全のために働く人々の保護者」ともされて広く世界に知られている聖フランシスコは、1181年にイタリアのウンブリア地方にあるアシジという小さな町に生まれました。2009年は、そのフランシスコが、1209年に教皇イノセント三世より承認を受けて創立した「小さき兄弟会」(OFM)の修道会創立八〇〇周年に当たります。

1209年、フランシスコはこの福音の精神に生きようとする同志11名と共にローマに赴き、時の教皇イノセント三世から「小さき兄弟の修道会」(OFM)の最初の会則の認可を口答で与えられました。その結果、定住して大修道院で生活を送るベネデイクト会の会則とは異なる修道会則に従い、従順・清貧・貞潔に生きることによって宣教する独特な修道会(托鉢修道会)が生まれたのです。その修道生活に関する思想は「会則」によく現れています。その後、兄弟たちの数は急激に増加し、ヨーロッパ各地に広がって行きました。

そして1212年にはクララを中心に「貧しい姉妹たちの会」(第二会)が誕生し、1221年には在俗の「償いの兄弟姉妹の会」(在世フランシスコ会/第三会)の会則が承認されました。当時は、キリスト教の内部の組織的・思想的混乱の最中にあり、教会のあり方に対する批判も台頭していたため、多くの信仰復活の運動がローマによって弾圧されていた時代でした。そのような歴史的背景の中で、教会に恭順を誓ったフランシスコ会が特別に教皇から承認されて発展した結果、それに倣ってその他の修道会が次々に誕生していきました。・・・

フランシスカン海外宣教の日 2017年2月5日

イスラエルで宣教する兄弟フランシスコ新直己(あたらし なおき)の声(2014年からイスラエルで宣教)

フランシスコ会聖地管区の主な使命は、まず存在することです。これは、イエス・キリストおよび初期のキリスト教ゆかりの地の管理を教皇庁からまかされているので、あちこちで私たちの茶色の修道服を見かけることができます。

聖地の主な聖所はフランシスカンが管理しています。そして聖所を巡礼者や旅行者が見学できるように開放し、聖堂では簡単な説明、案内や、ミサを行うグループのために準備をします。場合によっては巡礼グループに同行し、ガイドをすることもありますが、最近はガイドの免許が求められるようになってきているので、その資格を持った兄弟たちもいます。つまり、聖地での主な役割は聖所の管理、保護と巡礼者のお世話ということになります。

私は、日本語でいうと「山上の聖ヨハネ教会」に居住しています。ここは、洗礼者聖ヨハネ出生の地で、巡礼者に開放し、午前と午後、修道院の誰かが当番制で世界中なら来る巡礼者のお世話をします。私たちの共同体のメンバーは9人で、その内5人は哲学生、養成修道院でもあります。彼らは哲学を学ぶ二年間ここに住むほか、聖堂での服務を交代でしています。

巡礼での典礼は様々な国、民族が独自の礼拝形式を持ち込みますから、巡礼者が多いい時には統制がきかなり、予定の時間を超えることやいろんな問題が起こります。日本的な気配りといったものはなく、互いの主張が強いので、いつも時間通りに聖堂を閉めることができません。

現在、私は、週三回ほどボランティアに行っています。一つは近所のビンセンシオ・パウロ会のシスターが運営する障害者児童施設、他の日は地元の一般障害者施設です。他に正統派ユダヤ教徒の施設の炊きだしに週に一度のペースで行っています。ここでの難しさ一つとして、コミュニケーションを全て外国語、それも何ヵ国語も使わなければいけないので時々疲れますが、それなりに楽しいです。できれば長くこの場所にいたいと思っています。(2017年2月5日)

海外宣教ニュース 2016年12月4日(1)

フィリピン・フランシスカン・デフセンター訪問

8月27日から9月3日まで、海外宣教委員会はフィリピンで聾者のための奉仕をしている兄弟佐藤宝倉と奨学金プロジェクトの支援先であるフランシスカン・デフセンターを訪問しました。 フランシスカン・デフセンターはマニラに近いケソン・シテイの事務局と教育者の育成のためのセンターとサマール島カルバイヨグ市にあるフランシスカン・デフセンター(聾者の教育センター、以下デフセンター)の2か所がありますが今回はカルバイヨグのセンターを訪問取材しました。

センターを訪問した海外宣教委員と生徒たち

カルバイヨグのセンターは、正式な寮としての基準を満たした学生寮(女子学生)と教室のある施設です。男子学生は、センターの至近距離にある下宿から、食事の時間にセンターで朝食事をしてから通学し、放課後センターで夕食を済ませて下宿に戻ります。 さて、毎年訪問するたびに支援先のデフセンターは、設備やプログラムが整備されている印象を受けます。これは、センターのスタッフの努力と多くの人の支援の賜物といえます。また、設備やプログラムの充実はセンターに寄宿し学ぶ子供たちや、生徒や奨学金を受給しカルバイヨグ市内のクライストキング・カレッジ(以下CKC)の付属小学校、高校に通う生徒の学習の効率化や学力向上につながっています。この5年ほどの間、単位を落とす生徒はゼロです。以前、補習をするにも教室やパソコンが不足していましたが、プロジェクターなどの機材も充実した今は、手話の反復練習や授業の予習復習に十分な施設のが整備され、今年度、全員進級・進学をはたしています。 さて、こうして無事に高校や大学を卒業しても長年の課題である卒業生の雇用は、フィリピン社会が高い失業率のため、ハンデキャッツプを持つ人の雇用が少ないフィリピンでは就ける職業が聾学校教員、マッサージ師、ファーストフード店バックスタッフなど今も選択肢が少ない状態です。生徒達の未来を切り開いてゆくのも継した課題です。

佐藤神父とセンターの生徒たち 

 さて、訪問中、奨学生と保護者の交流会が行われました。生徒と保護者が大勢集まりました。保護者代表からは、「子供達は、経済的に苦しい家の子供が多く、日本からの奨学金受給に感謝しています。 今後も経済事情の苦しい生徒のためにプロジェクトの継続お願いします」と感謝と継続のお願いがありました。

 

フィリピンは日本のように通学のための交通手段が地方では豊富でないため山間部の子供たちは市街地の学校に通学できません。また、そうした集落は第一次産業(農業・漁業)に従事する人々が多く、その収入で私学に通わせるのが困難なため、奨学金を受けて寮から通学するのが現状では最良の方法なので、保護者代表の言葉はその現状を物語っています。

奨学生と保護者の集いの集合写真

センターが目指す方向性は、将来的な聾者の自立ですが、こうしたプランが形になるのには時間が必要です。 現在、支援を受け、高校、大学を卒業した中にも職業訓練所や教員養成コースの就学中で、資格や技能を身につけて 社会に出て働き始めて初めて成果が現れますが、それだけが目的ではありません。

佐藤神父によると、「聴覚障害者の自立と手話を通じた奉仕者や教員の養成」も目標にあげています。それは、単に自立できればよいのではなく、同じような対場の人を助けることのできる人材を育成していくということです。そのために寮では奉仕の精神を養うような企画や宗教教育、黙想会なども実施しています。センターは、口コミもあり、毎年新しい生徒がやってきますし、地元の公立の聾学校の小学校を卒業した生徒も高校のクラスがないためCKCの付属高校を受験します。それは単に、聾者のための
高校以上のクラスがCKCだけにあるからではなく、教育内容が充実してきていること、や宗教教育、奉仕の精神などをはぐくむ環境があるからでもあります。

また、学ぶ生徒たちも将来的に聾者を雇用する企業に就職するというものから、資格を取ってより条件の良い仕事に就くために学ぶケースが増えているのと、実際にセンター出身者の教員が公立の聾学校の教員になってミンダナオ島のダバオなどで働き始めており、少しではありますが目標の一つである聾者の自立が形になってきています。

教室訪問の時は歓迎のパネルで迎えてくれた

 最後に、センターで学ぶ生徒たちの努力やスタッフの尽力には訪問するたび頭が下がりますが、今後もこうした支援ができるよう紙面でも協力を呼び掛けていきたいと思います。 海外宣教委員会

海外宣教ニュース 2016年12月4日(2)

聖地にいる兄弟新直己からの近況報告

2016年10月、海外宣教委員会は、聖地で生活している兄弟フランシスコ新直己(写真右)を訪問しました。 現在、兄弟新はエイン・カレム(聖母マリアのエリザベトご訪問の地)の共同体に派遣されて、3年目を迎えています。元気そうな様子で、近況を分かち合ってくれました。後日、本人から皆様宛にメールが届きましたので、以下に掲載いたします。

『何から書いていいやらわかりませんが、とりあえずこちらでの日常の生活について書いてみたいと思います。宣教師というと、何だか地の果ての大変なところへ入っていて苦境をしいられながら、大変な生活をしているというイメージがあるかもしれませんが、ここでは日本にいたころと同じように至って平凡な修道生活を送っています。以上・・・。というわけにはいかないと思うので少し何をしているのか具体的に書いてみます。

フランシスコ会聖地管区では何を主な使命/お仕事としているかというと、まず存在すること。キリスト教ゆかりの地の管理を教皇庁からまかされているので、カトリック教会の代表としてあちこちで茶色の修道服を見かけることができます(主な聖所はフランシスカンが管理しています)。そして聖所を巡礼者や旅行者が見学できるように開放します。聖堂にいて簡単な説明、案内や、ミサを行うグループにはその準備をします。場合によっては巡礼グループに同行し、ガイドをすることもありますが、最近ではガイドの免許が求められるようになってきているので、その資格を持った兄弟たちもいます。

洗礼者聖ヨハネ教会

いずれにしてもここ聖地での主な役割は聖所の管理、保護と巡礼者のお世話といったところでしょうか。ここ山上聖ヨハネ教会も同様です。洗礼者聖ヨハネ出生の地がここにはあるのでそこを一般に開放しています。そのため午前と午後、修道院の誰かがもちまわりで服務にあたります。世界中から巡礼客が訪れます。それぞれの民族が独自の礼拝形式を持ち込みますから、余りに聖堂に巡礼客がごったがえす時には統制がきかなくなりいらいらします。気配りなんてどこの國の話?今日もなかなか時間どおりに閉めることができませんでした。

さて、ここでの主な役割は以上のように聖所の保護管理なのですが、今ここのメンバーは9人、その内5人は哲学生、養成修道院でもあります。彼らは哲学を学ぶ二年間ここに住むことになるわけですが、毎日聖堂での服務を交代でしているので、毎日ここに縛られているわけでもなく結構時間もあるので、来たばかりの頃はヘブライ語の授業に通っていました。今はむしろ実践するようにしています。

聖母マリアのご訪問の教会

その他に週三回ほどボランティアに行っています。一日は近所のビンセンシオ会のシスターがやっている障害者児童施設(アラブ系、ユダヤ系、外国人がいます) 他の日はもう一つの障害者施設、これは地元のもので、すべてユダヤ人、アラブ人で教会関係ではありません。他に正統派ユダヤ教徒の施設の炊きだしに週に一度のペースで行っています。とにかく機会があればわからなくてもできるだけヘブライ語で話すようにしています。ここでの難しさ一つとして、コミュニケーションを全て外国語でやらなければいけないので、いつまで経っても何語も満足に話せない自分は子供のように感じます。それに何ヵ国語も使わなければいけないので時々疲れますが、それなりに楽しいです。

全体的にここでの生活はほとんどストレスがなく、のんびりとしています。できれば長くこの場所にいたいと思っています。イスラエルと聞くといつも戦争をしているイメージがあるかもしれませんが、そうではありません、エルサレム中心街から8キロほど離れたここでは変わらない時間が流れているのです。』

海外宣教ニュース 2016年12月4日(3)

長期宣教から短期宣教へ

-変化する宣教の意識―

10月にベトナムを訪れた海外宣教委員の兄弟元田勝哉は、ベトナムの兄弟たちに宣教についてインタヴューを行い、ベトナムの若い兄弟たちの宣教観の変化についてレポートしてくれました。

私は、この度 10月18日から およそ一週間ベトナムに滞在し、東アジア合同会議(EAC)に参加する恵みをいただきました。対象者は、アジア圏にいる荘厳誓願後10年以内の兄弟で、日本管区からは私と兄弟今井の二名で参加しました。この会議の目的の一つに、アジア圏にいるフランシスコ会の若い兄弟達が早い段階で触れ合い、相手のことを知った上で互いに協力し合える関係を築くことが挙げられます。

EAC会議の集合写真

実際に 今回の会議の参加国と参加者は、総勢で15か国46名というものでした。そのほかに、EACのスタッフなども入れると かなりの規模の会議となりました。他国の様々な状況下にいる兄弟たちに触れ、良い刺激を多く受けました。特に、今回はベトナム管区にお世話になりましたので、ベトナム管区の兄弟たちの「海外宣教」についての考え方や生き方の変化を紹介し、私たちの宣教観を広げる一助になればと思っています。

私は、6年前にも 同じくベトナムで行われた東アジア合同会議(EAC)に参加しています。その当時、ベトナムで聞いた海外宣教の理解は「一生、母国に戻れない覚悟を伴ったもの」で、事実 海外宣教に出たベトナムの兄弟たちは他国で一生を捧げていると伺っていました。しかし、今回 少し違う印象を受けました。それは、「数か月から数年間というスパンで赴く海外宣教ができるようになった」と言うのです。べトナムの兄弟たちの場合、国と政府の政策の変化によるところが大きいのですが、短い期間での海外宣教ができるようになったということは大きな変化でしょう。

今回、このベトナム管区の海外宣教の在り方の変化を聞いて、私たちの海外宣教への理解を広げる良い機会の得たように感じました。なぜなら、私を含め 多くの日本管区の兄弟たちは「海外宣教」と聞くと その兄弟の一生涯をかけたプロジェクトというイメージがあるように思うからです。それも一つの在り方ですが、海外の兄弟達、特にアジアの他管区では短いスパンでの海外宣教が主流となっているように感じましたし、滞在期間が短い海外宣教に積極的な印象を受けました。

これから先、日本であれ海外であれ、他国の兄弟たちと協力していく機会が増えていくことでしょう。フランシスコ会は、間違いなく全世界規模の修道会だからです。他国の兄弟たちとの協力し合える関係を築く機会として、短いスパンの海外宣教も その一助となり得ると知っていることは本当に大切なことだと思います。  トマス元田勝哉OFM

カリシモ・ロンデロ神父

兄弟カリシモ・ロンデロ神父は、北見市北斗病院に入院中し静養していましたが、2016年12月18日午前11時過ぎに心不全により帰天しました。

略歴
誕  生:1932年7月27日 イタリアに生まれる
着  衣:1948年9月11日
初 誓 願:1949年9月12日
荘厳誓願:1955年1月23日
司祭叙階:1956年6月24日
帰  天:2016年12月18日 享年84才

司祭叙階後、1959年宣教師として来日し、日本語学校修了後、東京聖アントニオ神学院で哲学教授として奉仕した後、釧路聖アントニオ修道院で院長職を長年にわたり勤めました。その後、東京聖アントニオ修道院院長を務めた後、カトリック田園調布教会、カトリック釧路教会、カトリック北見教会で司牧しました。今年から、人工透析を週3回受け治療を続けていました。
明るく、穏やかな性格でユーモアもあり人々から愛されました。

 

About

フランシスコ会:正式名称は「小さき兄弟会(Ordo Fratrum Minorum)」といいます。2009年には創立800周年を迎えました。創立者は、アシジの聖フランシスコです。「フランシスコ会案内」(2010年)から一部分を引用して紹介します。なお、以下のリンクから冊子(PDF)をダウンロードすることが出来ます。 ダウンロード:PFDファイル 3.7Mb

小さき兄弟会創立800周年と日本

現代では、「平和の使徒」と呼ばれ、教皇ヨハネ・パウロ二世によって「自然環境保全のために働く人々の保護者」ともされて広く世界に知られている聖フランシスコは、1181年にイタリアのウンブリア地方にあるアシジという小さな町に生まれました。2009年は、そのフランシスコが、1209年に教皇イノセント三世より承認を受けて創立した「小さき兄弟会」(OFM)の修道会創立八〇〇周年に当たります。

1209年、フランシスコはこの福音の精神に生きようとする同志11名と共にローマに赴き、時の教皇イノセント三世から「小さき兄弟の修道会」(OFM)の最初の会則の認可を口答で与えられました。その結果、定住して大修道院で生活を送るベネデイクト会の会則とは異なる修道会則に従い、従順・清貧・貞潔に生きることによって宣教する独特な修道会(托鉢修道会)が生まれたのです。その修道生活に関する思想は「会則」によく現れています。その後、兄弟たちの数は急激に増加し、ヨーロッパ各地に広がって行きました。

そして1212年にはクララを中心に「貧しい姉妹たちの会」(第二会)が誕生し、1221年には在俗の「償いの兄弟姉妹の会」(在世フランシスコ会/第三会)の会則が承認されました。当時は、キリスト教の内部の組織的・思想的混乱の最中にあり、教会のあり方に対する批判も台頭していたため、多くの信仰復活の運動がローマによって弾圧されていた時代でした。そのような歴史的背景の中で、教会に恭順を誓ったフランシスコ会が特別に教皇から承認されて発展した結果、それに倣ってその他の修道会が次々に誕生していきました。・・・